奈良公園、洛東


2008.10.11-12



 なんとなく、古都に行ってみたい、という気持ちが強くなり京都・奈良方面へ行くことに。ネコ娘も奈良の大仏を見せてないしなぁ、行くか!ということで奈良と京都に行ってきました。

 出発はいつも定番のAM3:30。3時に起きて準備すると、4時までに高速に乗れるから、深夜割引が使えるんだよねぇ。深夜割引は4割引きになってお得だし・・・。




奈良公園
 自宅を3:30に出発し、北陸道、名神道、京滋バイパス、京奈和道と走って、9:30頃に奈良公園に到着。

 早速、大仏を見るために東大寺へ。途中、国立博物館の前で鹿と遭遇したのでネコ娘が鹿にタッチに挑戦!怖くて触れませんでした.
 南大門にたどり着くまでは土産屋があったり、鹿がいたり、大勢の観光客がいたりでなかなか先に進むことができません。やっぱり東大寺は人が多いなぁ(普段富山にいると人ごみに揉まれることって無いからなぁ)、とちょっとうれしかったりして。

 ネコ娘は相変わらず鹿から逃げ回っていました.(左)。




東大寺大仏殿へ
 東大寺は世界遺産にも登録済み。なかなかカッコイイモニュメントがたってます。東大寺は1998年に登録されたそうですね。右は国宝にもなっている南大門。
 南大門の両側には木造金剛力士像が悪者を見張っています?左は阿形(あぎょう)、右が吽形(うんぎょう)というそうです。これらも国宝。じっと見てると結構カッコイイね。
 大仏殿(金堂)があるところまでは国宝の中門を通らずに、脇のほうから入ります。入場料もここで徴収。入場すると、大仏殿が目の前にドドーンと見えてきます(右)。観光客は皆ここで記念撮影をするので混雑気味。でも、大仏殿がきれいに見えていい場所なんだな。
 とうとう大仏に到着。写真に撮ると大きさがわからないけど、おっきいなぁ。東大寺の大仏の本名は東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)というそうです。745年ごろに作り始め752年ごろに完成。でも、この当時のものはほとんどが修復されたもので、昔からあるものというと台座、腹、指の一部ぐらいしか残っていないそうです。
 左上は虚空蔵菩薩像。重要文化財。盧舎那仏(右の大仏)に向かって左側に座っています。

 右上が奈良の大仏と呼ばれる盧舎那仏。聖武天皇の命で製作され、749年に完成。752年に大仏開眼供養会が行われたそうです。現在の大仏は高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートル。頭部は江戸時代、体は鎌倉から室町時代の補修なんだそうですが、台座や右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などは元の部分が残っているそうです。

 左は広目天像。怖い顔をしています。広目天は仏教における天部の仏。持国天、増長天、多聞天と共に四天王の一尊に数えられるそうです。そして、広目天像は仏堂内では本尊の向かって左後方に安置するのが原則なんだそうです。たしかに、大仏の右後(本尊に向かって左後)にいました。「本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に主護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1員として白銀?(はくぎんた)に住み、西の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち西牛貨洲(さいごけしゅう)を守護するとされる。また、龍神や畢舎遮といった鬼神を配下とする。」というものだそうです。難しい・・・。
 大仏の後ろ側に行くと、柱に穴があいていて、これが大仏の鼻の穴と同じ大きさだとか。ここをくぐると幸せになる?とかなんとかで、ここをくぐるのに100人くらいの列ができていました.修学旅行生が並んでいるなぁ、と思いきや、アジアからの観光客がかなり並んでいます。しかも、左写真のようなオジサンガ多い。このオジサン、ビール腹でなかなか通ることができません。こんなオジサンが数名いたために、長蛇の列ができてしまっていたのでした。
 やっと出番が回ってきたネコ娘。さすがに余裕の通過です。ピースサインも出ました!
 左上は多聞天像。毘沙門天とも言うらしい、というかそっちの方が聞き慣れた名前だけど・・・。決まった姿は無いらしく、いろいろな姿の多聞天像があるそうです。東大寺の多聞天像は国宝だそうで。

 右はぴんずるそんじゃ?大仏殿の外に安置されてます。体の調子の悪いところを撫でると治るそうですが、ちょっと怖いんだよね。江戸時代のものだそうです。

 国宝をたくさん見学し、ネコ娘も勉強になった?とっても良い物を見た気分でした。




春日大社へ
 東大寺を見たら次は春日大社へ。手向山八幡宮の前を通り(左上)、高床式倉庫の脇を抜け(右)、若草山の公園の前を通り、お土産屋さんをチラ見して・・・
 水谷茶屋でトラップされました。ここでわらび餅をたべました。一人一切れずつね。こういうところで食べるのって美味しいんだよね〜。しかも、雰囲気が良いんだな〜、この茶屋。美味しかったです!


 で、元気を出して春日大社へ歩き出したら、鹿に遭遇。最近、キックを覚えたネコ娘、鹿にキックしに行く!といって本当に鹿にキックしに行きました。この後ダッシュで逃げてきましたが・・・。何の為にキックしに行ったのか・・・?




春日大社
 東大寺を出発して50分(途中トラップされてるけど)、やっと春日大社の清浄門に到着。この春日大社も世界遺産なんだね。知りませんでした。春日大社のHPによると「この門は古来正式な参入門であり、御蓋山を正面に望んで参入することで、御本殿が出来る前から御蓋山が神様のお山であったことを感じることが出来ます。」となっています。ということは清浄門から慶賀門をとおって参拝するのが、正しいルートだったみたい・・・。
 で西回廊をとおって、慶賀門から入門!有名な砂ずりの藤は青々と茂っていました。右は回廊と直会殿の間の水路。この後、幣殿・舞殿を参拝。500円を払うと、中門まで行くことができるそうですが、それは次回のお楽しみということで今回は省略。
 帰りは南門から。南門の目の前には神石が柵で囲われていました。磐座だとか、出現石だとか、額塚だとか諸説ある石なんだって。

 で、春日大社の歴史を調べてみると、「今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミヤツチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えし、やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様をお招きして、あわせてお祀り申しあげた」のが始まりなんだそうです。そんなに歴史があるのか・・・、きれいな建物だからぜんぜん知らなかった。
 南門から二之鳥居の方へ向かうと、左側に灯篭が並んでいます。その間に鹿が入り込んでいて、観光客の写真撮影の的になっていました。クマ兄さんもアップでパチリ。人になれているからかまったく逃げようとしませんでした。
 二之鳥居と南門の間あたりには鹿の像もあります。鹿が咥えている巻物のようなものから水が流れ出ていて、参拝者はここで手と口を清めよ!と書かれています。そして、手と口を清めたら、側にある祓戸神社をお参りするんだとか。祓戸神社はお祓いの神様で、年に二回の大祓式や春日祭における勅使のお払いが行われるそうです。
 正しい参拝ルートは慶賀門からじゃなかったっけ?近年はこちらから参拝するのが普通のようですね。




お昼は春日荷茶屋
 春日荷茶屋で「かすがにないちゃや」と読むそうです。春日大社直営の茶屋で、春日大社の行事食や直会として伝わる食べ方などを再現しているそうです。名物は万葉粥。月によって入る具が変わり、今回は10月ということでサツマイモでした。白味噌のお粥はとっても美味しかった。味噌の塩加減とサツマイモの甘さがとっても美味しかったです。柿の葉すし二個がついたセットだと1580円でした。

 柿の葉すしも奈良の名物ですね。柿の葉で包むのは殺菌の為だとか。夏のご馳走だそうです。




 東大寺と春日大社をお参りし、お昼ご飯も食べ、お腹がいっぱいになったネコ娘はお昼寝の時間。車に戻ってネコ娘を昼寝させ、次はどこへ行こうか?と思案しました。結果、次に行くところは平城京跡。るるぶによると大和西大寺駅にレンタサイクルもある模様。で、行ってみるとレンタサイクルは補助椅子が無いということでネコ娘が乗れないのでレンタサイクルは中止。しょうがないので、そのまま車で平城京跡資料館に行ってみました。




平城京跡資料館
 到着してみると駐車場も無料でちゃんと整備された資料館がありました。しかも入館無料。大型の観光バスも来てたりで、結構賑わっていました。
 奈良の都「平城京」の跡ということですが、クマ兄さんは納豆ネバネバ平城京と語呂で覚えた記憶しかありません。納豆(なっとう)は710年のことで、藤原京から平城京に遷都されたのが710年のことですね。都はこの平城京から長岡京に784年に移ったのですが、実は740年から745年の間も恭仁京(くにきょう)にも一時的に都が別のところに移っていたそうです。

 この平城京では左上のような服装をしてたらしいです。結構華やかなんですね。右上は平城京のジオラマ。真ん中が正殿です。

 左は平城京時代の食事の様子。一日二食で、ご飯が主食だったそうです。ちゃんとこのことから炊いて食べてたとか。おかずは魚や野菜、漬物など。味噌も縄文時代からあったって言うから、味噌汁なんかもあったかもね。そのまま食べてたかもしれないけど。




平城京跡を歩く
 お昼寝していたネコ娘も元気を取り戻したので、平城京跡を散歩してみることにしました。資料館から南へ歩くと朱雀門があります。ひろーい、平城京跡の草原のむこうに朱雀門が近鉄奈良線越しに見えます。そこまで、ネコ娘をおだてながら歩いてみました。
 途中、平城京の真ん中あたりで何かの門の跡がありました。ここから北を見ると復元中の大極殿正殿が、南を見ると朱雀門があります。1300年も前にこんな巨大都市があったなんて恐るべし!最大で10万人ほどが暮らしていたそうです。
 朱雀門のすぐ北側には近鉄奈良線が走っています。その脇にはお役所跡。たしか兵部省ってなってたような気がしますが、よく覚えていません。ネコ娘もここまで歩いて、かなり疲れていたようでしばらく休憩しました。こんなところで休憩?って気もしますが、目の前には近鉄奈良線が走っていてひっきりなしに特急や急行などが走っています。かなり長い時間、踏み切りが空かなかったり・・・。上下合わせて連続7本くらい踏切が開かないこともあるんですね。
 左は22000系ACE。右は30000系ピスタEX。どちらもペンギン姉さんやネコ娘にはなじみの無い車両ですが、クマ兄さんが小さい頃は30000系ビスタEXに憧れ、いつか二階に乗ってみたい!という夢を抱いたくらいですので、近鉄特急は大好きで、慣れ親しんだ車両です。二階に乗る、というのはいまだ夢のままですが・・・。
 少し休んで、朱雀門に到着。ボランティアのガイドさんが数名、観光客を物色しています。クマ兄さん一家も狙われていましたが、チビ介(ネコ娘)がトイレに行きたがっていたので、トイレの場所だけ聞いて退散。ネコ娘はガイドさんの説明聞いていられないからねぇ。
 この朱雀門、当然復元したものですが、当時の朱雀門がどのような建物だったか資料が残っていない為、薬師寺や東大寺、その他の出土品を参考に復元されたそうです。フジテレビのドラマ「鹿男あをによし」の撮影にも使われたそうな。この日、なぜかネコ娘は説明板で寝そべるのがブーム。
 これは、宮内省があったところの近くにある造酒司の井戸。平城京には、ここで使うお酒やお酢をつくる造酒司という役所があったそうです。この井戸は醸造用で水を汲んだ井戸で、六角形の屋根が付いているなど特殊な構造をしているので、儀式用のお酒を作る為の水汲み井戸だった、と考えられています。
 昔、宮内省があった場所に遺構展示館があります。入館無料でかなり充実した展示がありました。右は大極殿正殿の展示。結構巨大です。しかも朱色できれい。こんな建物が1300年前にあったなんてスゴイねぇ、と子供のような感想でした。
 左は遺構展示館にある柱の跡。なんでこんな風に残るのかな?基礎になる石があるから?
 右は復元された宮内省。なぜかネコ娘は解説板に寝ています。この説明によると、ここは天皇家に使える宮内省があった模様。檜皮葺の脇殿や倉庫など六棟があったそうです。
 こっちは内裏と井戸があった場所。内裏というのは天皇が日常生活を送り、政治や儀式を行うところ。平城京の中でもかなり北のほうにあるんだね。絵の説明ではこの井戸で洗濯なんかしているようです。
 とっても広い平城京(平常宮)。ネコ娘を肩車で担いで回るにもしんどく、なんとかして歩いてもらわねば・・・。最終手段「目の前にニンジン」作戦!ペンギン姉さんがネコ娘の目の前に、大好物の味昆布の瓶を差し出すと、かなりの速さでネコ娘が歩き出しました。これで、だいぶ歩いてくれたな・・・。我が娘、それでいいのか・・・。
 平城京跡の北部には大極殿正殿の復原工事が行われていました。右の資料によると東西53.172m、南北28.653m、最高高さ29.014mという巨大なものになるそうです。説明資料の真ん中の赤い建物が大極殿。左は東大寺大仏殿。東大寺大仏殿もかなりでかいな。
 大極殿復原工事の一般公開ということで、資料館みたいな建物も作られています。内部はパネル展示や写真展示がありました。復原工事が終わって大極殿が完成したらまた見に来たいな。
 右はこの一般公開施設の脇で行われていた発掘調査。第436次の調査なんだそうです。平城京の発掘調査は北浦定政という人が1852年に行って以来150年以上行われていますが、全体の30%くらいまでしか終わっていないそうです。現在は奈良文化財研究所という独立行政法人が行っているんだって。

 最終的に徒歩で平城京跡を一周してきました。時間は二時間半くらい。他にも見るところがあるので、しっかり見て回るなら半日くらいかかるのかな。レンタサイクルで回れなかったのが痛かった。




 奈良の都を満喫し、今日のお宿がある京都へドライブ。今日のお宿は東横イン京都四条烏丸。契約駐車場が四条通の裏側にあるので、とっても分りづらかった。




夕飯
 夕飯は京都っぽいものが食べたいね、と言って東横インでお奨めのお店を聞いたり、パンフレットを見たりしながら四条通を歩いて物色。でも、パンフに載っているお店は、ネコ娘を連れては入りにくいお店ばかり。四条通沿いのお店は結構混雑。どうしようかなぁ、と思って脇道を覗いてみると、「ほっとけや」というお店を発見。後から調べたらチェーン店なんだね。このときは良くわかっていませんでしたが、なぜか入ってみようか!?という気になり入店。ほかにお客さんが一人もいないので、大丈夫か?とちょっと心配になりながら手羽先や豆腐料理を注文してみました。
 左はこのお店のおすすめ「揚げ手羽先」。ネコ娘はこの揚げ手羽先と枝豆があれば大満足のようです。右は「自家製おぼろ豆富」。この豆腐はかなり美味しかったです。クマ兄さんとペンギン姉さんはかなり気に入りました。料金もそこそこ、お店の混雑具合もほどほど(帰る頃には結構お客さんいました)、子連れで入りやすいお店でした。



10/12




清水寺
 二日目は京都観光。最初は京都定番の清水寺。ネコ娘は初の訪問です。写真は仁王門。ここは記念撮影のメッカ。修学旅行でもこの階段に並んで写真撮るよね。
 仁王門を抜けると、三重塔と経堂があります。このあたりはおぉ!と思いながらも雰囲気を楽しむだけで通過。マニアはじっくり見るんだろうけど。
 本堂には弁慶の錫杖(しゃくじょう)、いわゆる杖があります。小さいほうでもペンギン姉さんは持ち上げられません。クマ兄さんならなんとか。大きいほうはクマ兄さんでも無理。体力自慢だった若かりし頃でも大きいほうは無理でした。この歳でやると腰痛めるんだよなぁ・・・。右は本堂にいる大黒様。ピカピカで新しく見える大黒様ですが、実は室町時代に作られたもの。2008/5に京都伝統工芸大学校にて修復されたんだそうです。重量は310kgもあるんだって。出世大黒と呼ばれているそうで、一応お参りしときました。クマ兄さんはそんなに出世欲ないんでそこそこ・・・。
 こっちはふれ愛観音。手を触れないでください、ではなくて、手で触れてお参りしてください、と書かれています。皆が触るのでピカピカのツルツルになってます。
 清水の舞台から・・・飛び降りる気満々のネコ娘。どうしても手摺を乗り越えたくてしょうがないようでした。見てるこっちがハラハラしちゃうよ。明治5年に政府から飛び降り禁止令が出てるの知らないの!?いまも有効なのかはクマ兄さんも知りませんが・・・。
 この清水の舞台がある本堂は1633年に徳川家光の寄進により再建されたもので国宝です。その前はいつからあったんだろうか・・・。ここから見る京都の街並みは絶景だよね。
 本堂の裏側にあるのは地主神社。お寺に神社があるってなんとも日本的!縁結びの神様として人気があるそうですが、クマ兄さんとペンギン姉さんはこれ以上縁を結んだら大問題なので、鳥居はくぐりませんでした。ネコ娘だって、まだ早いよね!
 右は舞台と京都市街が両方見える場所からパチリと撮ったもの。いろんなところで見る絵ですな。定番です。
 もうちょっと場所をかえて舞台をパチリ!さすがに清水寺は、というか京都は外国人の観光客が多いですなー。観光客の三分の一から半分くらいは外国からのお客様でした。天気も良いし、のんびり清水寺を散策するのも良いね。

 実は写真を取れなかったのですが、この日は本堂で「清水寺御本尊御開帳」の特別拝観が行われていました。拝観料が100円ということも有り、並んで拝観してみることにしました。中でロウソクを買って、名前を書き、御本尊の周りに設置されたロウソク立てに立てます。これでご利益があるみたい。ネコ娘が元気に育ちますように!




八ツ橋
 清水寺の仁王門の目の前にある八ツ橋屋さんの「西尾八ツ橋」。試食が多数、お茶までくれ、休憩用の椅子もある。至れり尽せりの八ツ橋屋です。以前来た時は桃八ツ橋が美味しかったのですが、今回はありませんでした。でも、塩八ツ橋とか変り種があり、普通のも有り、というお店なので毎回お土産をここで買います。




清水坂
 清水寺の前の清水坂、そして二寧坂を通って八坂神社方面へ向かいました。二寧坂は別名二年坂。転ぶと二年で死んでしまうとの迷信があります。三年坂で転べば三年で死んじゃうという迷信もあり。
 二寧坂の途中にあった港屋というお店。竹久夢二の作品を扱うお店だそうですが、揚げ餅を店先で売ってました。1個50円。安いし、美味しそうだし、いい匂いしてたので一人1個買って食べてみました。もっちりした揚げ餅は美味しかったです。ネコ娘も1個食べきった。
 揚げ餅をを食べていたら舞妓さんの衣装レンタルをして歩いている人がいました。その二人を見てネコ娘が「写真撮りたい!」と。「じゃあ、追いかけて、自分で写真とってくださいってお願いしてごらん」って言ったら、追いかけていって、「写真とってください!」って本当にお願いしちゃいました。なんと積極的な!で一緒にとってもらった写真が右。きれいなお姉さんでよかったね!
 二寧坂からのんびり歩いて20分ほど、やっと八坂神社に到着です。この八坂神社が全国にある八坂神社の総本社。八坂神社って言うのは日本全国で2300くらいあるらしい。
 上の写真は本殿。八坂神社では結婚式も行われるようで、この日も一組の結婚式が行われていました。
 左は西楼門。重要文化財になっています。四条通が東大路通と交わる交差点のところ。ここも記念撮影の多い場所ですね。この石段の下から祇園祭の「神輿渡御出発式」が行われます。




地下鉄で移動
 清水寺、八坂神社を見て、次は二条城へ。地下鉄東西線の東山駅から二条城前駅まで約七分の乗車。外国人観光客がたくさん乗ってました。




二条城
 地下鉄二条城前駅から歩いて1分、東大手門から入城します。ツアー客、外国人団体客、個人客などで入城券売り場は大混雑でした。右は東大手門を入っていく観光客達。我々も入城です。
 現存の二条城は、徳川家康が京都に滞在する時の宿とするために造ったものなんだそうです。ただ、将軍がいつでも京都にいるわけではありません。将軍が不在の時には二条在番と呼ばれる江戸から派遣された武士によって警備されていたそうです。
 左の写真は、警備に当たる武士が仕事をする番所だそうです。
 この門は唐門。重要文化財らしい。この門をくぐると国宝の二の丸御殿があります。
 二の丸御殿の入口、車寄。車寄って名前は牛舎で入れるようになっているから、かな?二の丸御殿の中は写真撮影不可だったのですが、将軍が朝廷からの使者(勅使)を迎えた「勅使の間」とか、徳川慶喜が大政奉還を発表した大広間など歴史的に重要な役割を果たした部屋がありました。内部を一周してくるのに約30分くらい。右は、二条城と所司代に置かれた釣鐘。非常時に鐘を鳴らして、連絡を取り合ったそうです。
 二の丸御殿の見学の次は、二の丸庭園の見学です。この庭園は小堀遠州という人によって造られたそうです。
 左上は二の丸御殿。将軍はお客さんが来ると、ここから二の丸庭園を見ながら接客をしていたのでしょうか。日本庭園は日本人だけでなく、外国人にも受けが良いですね。ネコ娘が眺めている横で、外国人のあんちゃんが一生懸命写真を撮っていました。
 これは本丸のお堀と城壁。本丸には五層の天守閣があったそうですが、1750年に落雷で焼けてしまったそうで。

 で、徳川慶喜が本丸御殿を作ったが明治14年に撤去。

 現在の本丸御殿は京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を移築したものなんだそうです。
 この東橋を渡ると本丸に入城。平城ですが、石垣はしっかりしています。さすが二条城。
 これが本丸御殿。明治27年に移築されたやつね。で、右は天守閣があった場所まで上れる階段。地図によると、天守閣は本丸の南西に位置していて、城壁の一部になっていたんだね。
 左は天守閣跡から見た本丸。本丸庭園は明治29年に明治天皇の命によって作り変えられたそうです。これで、大体二条城の主なところは見学終了。内堀の外側に出て、入城した東大手門方面へゆっくりと戻ります。
 途中にあった加茂七石と呼ばれる石。きれいに整備されていましたが、説明が無かったのでただのきれいな石庭にしか見えません。よく分らんかった。
 二条城見学もこれにて終了、と思ったら収蔵庫あたりで出店がありました。京都名物の食べ物やお土産が売られていて、ほとんどの観光客がトラップ。我々はみたらし団子が美味しそうだったので一人一本ずつ頂きました。

 これで二条城観光も終了。20年ぶりくらいに訪れた二条城は新鮮でした。 




空也堂
 この日は東横イン四条烏丸の裏の駐車場に車を停めて、バスや地下鉄で移動してました。で、二条城から駐車場までは歩いて20分くらいの距離。直接移動する方法も無いみたいなので、歩いて四条烏丸まで歩いてみました。

 すると、結構名所があるようで、まずは空也堂というものを見かけました。ここは空也を本尊とする紫雲山光勝寺極楽院という天台宗のお寺だそうです。空也というのは平安時代中期に仏教を庶民に布教する為に全国行脚をした僧なんだって。このときに井戸や橋、道路を整備するなどしたため、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人なんて呼ばれていたそうです。




本能寺跡
 空也堂からちょっと歩くと本能寺跡という碑を発見。ここはあの織田信長が明智光秀に討たれた本能寺が当時あった場所。現在の本能寺は別の場所に移っています。

 他にも南蛮寺跡なんていう場所もあったりして、さすが京都!っていうのを意外なところで感じることができました。



 さて、午後は・・・最近定番になりつつある工場見学。今回もビール工場。




サントリー京都ビール工場
 今回の工場見学はサントリー京都ビール工場になりました。工場に到着し、受付をするときにHPでダウンロードしてきた工場見学ご優待券をだします。すると、ジョッキが参加人数分もらえました。といってもネコ娘の分は無かったけどね。そして、待合室でしばらく待つと、説明をしてくれるお姉さんがきて工場へ案内してくれるのでした。
 これは、工場内で説明用に栽培しているホップ。ツル性の植物で高さは10mにもなるそうです。このホップがビールを造る工程で使用されることでビール特有の香りと苦味がでるんですねー。いろんなビール工場で説明は受けてきましたが、観賞用とはいえ本物を見せてくれたのはサントリー京都工場が初めてでした。
 今度は麦芽(左)。これも食べてみてください、ということで数粒試食してみました。ちょっとだけなら、香ばしくてお菓子みたいな・・・。これからビールができるって言うのは想像できるような、できないような。
 さすがにビール工場はどこへ言ってもきれいにされていますね。タンクはSUS製なので腐食もしないし、っていうかタンク以外もみんなSUSだね。クマ兄さんはLCD関連部材を作っている会社に働いているので、いっつもクリーンルームに入って仕事していますが、ビール工場のほうが設備にお金かけてるなぁ、といつも思います。

 いままでのビール工場ならこれくらいで見学終了なのですが、サントリー京都工場ではさらにバスに乗って、工場を半周くらい見学させてくれました。ほんの5分くらいの見学ですが無料でバスに乗って工場内を走って見学なんて今まで無かったので感激でした。
 さぁ、工場見学も終わり、最後のお楽しみ試飲の時間です。といってもクマ兄さんは車の運転があるので、ビールの試飲はペンギン姉さん担当。プレミアムモルツは美味しかったそうです。クマ兄さんは、後日飲み屋で飲んで美味しいのを確認しときました。この時のクマ兄さんとネコ娘は「なっちゃん」で乾杯。
 試飲時間がちょっと短めですが、いつもと違うビール工場も良かったです。




長岡天満宮
 ビール工場を見学した後、まだ陽が残っていたので、近くで観光できるところは無いかなー、とるるぶを参照。すると、長岡天満宮が良さげ。で、行ってみました。この長岡天満宮は菅原道真が太宰府に左遷された時に、ここに立ち寄った縁で創立されたそうです。
 長岡天満宮には牛の像が何体か安置されています。なんでも藤原道真が牛を可愛がっていたとのことで、牛が奉納されているとか。新しい牛の像は触ってもよさそうですが、左の牛の像は古いものなので触らないでください、となっていました。

 境内末社には鳥居が並んだ道で行くことができます(左)。ほかに、長岡天満宮の目の前には八条ヶ池(1638年に八条宮智仁親王が築造)があったり、ツツジが有名だったり割と見所の多い天満宮です。でも、この時期は寒いし、ツツジも咲いてないからイマイチかなぁ。




京豆冨 不二乃
 せっかく京都に来たんだし、京料理を食べてから帰りたい、というご要望に(誰の?)答える為に、京都駅方面へ移動。ところが、京都駅前ってお店あるようでないよね。結局、以前に訪れたことのある京都駅の「京豆冨 不二乃」に行くことにしました。
 注文したメニューは忘れちゃいましたが、セットメニュー二人分と湯豆腐を頼みました。左はセットメニューの前菜。湯葉が美味しかったです、右は湯豆腐。湯豆腐って結構具が入るんだね?これくらい具が入ると豆腐鍋って感じだね。これなら自宅で夕食のおかずになるなぁ。
 おぼろ豆腐に湯葉ご飯。セットメニューだけでも豆腐が多く使われているのに、湯豆腐まで食べちゃって贅沢しました。ネコ娘も豆腐大好きなのでいっぱい食べたかな。



 と、二日間で奈良と京都を満喫したクマ兄さんご一行様。この後、20時ごろに京都を出発し、1時ごろに自宅に到着。途中、助手席に座っていたネコ娘が靴を脱ぐと、足から激臭!が運転しているクマ兄さんを襲う!という事件がありましたが、高速道路のSAで足を洗って解決。とっても楽しい二日間でした。




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