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小松ぶらり


2019.5.3


 今日はネコ娘が部活の一日練習。あまり遠くに行けないので小松市の街歩きに行ってみました。



こまつの杜
 8:10、一日練習にネコ娘を送り出し、すぐにペンギン姉さんとクマ兄さんの二人で出発です。今日は日帰りなのでペンギン姉さんのデイズルークスでドライブしますよ。ハイエースと比べると倍くらい燃費が良いので、お泊りでないお出かけは積極的にデイズルークスを使います。

 10:00、小松駅の東側にある「こまつの杜」に到着。サイエンスヒルズこまつの駐車場に車を停める。さて、サイエンスヒルズこまつって何の施設かな?今回は何も下調べしないで訪問しているので何もわからない。入口まで行くと有料っていうこととこども科学館的な施設ということが分かりました。有料なら・・・今日はやめとくか。
 サイエンスヒルズこまつから徒歩でこまつの杜に移動。

 今日、小松市に来た一番の理由はこまつの杜でこのトラックを見るため。超大型ダンプトラックの「930E」です。なんとこのトラック、電気駆動なのです。

 930Eの重量はなんと499トン。そして、積載量は297トンもあるのです。無人走行が可能で、鉱山で採掘した鉄鉱石などを運ぶのに活躍しています。

 タイヤも巨大で直径4m、重量が約5トン。ブリヂストン製。全部合わせると1台5億円程するそうです。5億かー。何年くらい稼働できるんだろうね。

 ということで、いつも出張の時に小松駅に停車したサンダーバードから見えた930Eを間近に見られた大満足でした。


 



コマツを支えたケンキたち
 E930の脇におじさんの銅像がありました。この人は竹内明太郎というそうです。なんとコマツ(小松製作所)の創業者。1921年にこの地で小松製作所を設立したお方。なんと吉田茂元総理大臣のお兄さん。生まれは高知県宿毛市だって。ずいぶん遠くから来たね。ちなみに現在、小松製作所は建設機械を作っている会社としては世界第二位のシェアを誇っています。
 ではでは、コマツの歴代建機を見学してみます。

 左はコマツ製最古のトラクタT25。1936年製造で、旧小松工場があったここで製作・組立された現存する最古のコマツ製トラクタ。国産初の農地開墾用トラクタだって。

 右はD50-2-16号機。1949年製造のブルドーザー。第二次大戦後のコマツの歴史を語る名機。当時「1日作業員200人分」の働きができると言われたそうです。
 左はD50-S 8型ドーザーショベル1号機。1958年製で掘削力、視界、積込高さを改善したショベル。

 右はD50A 実験車 10672号機。1961年製造。この年、「資本の自由化対策」による外資参入に対応して、コマツの存亡をかけて制作されたプロトタイプ。過酷な条件下で16,000時間のテストをクリアした実機だって。
 こちら、コマツ製最古のホイールローダJH30B。1965年製で、現存するコマツ最古のホイールローダ。コンパクトで積込性能に優れ、かなり売れたローダ。そして、ここまですべてクマ兄さんが生まれる前に活躍した建機。



 さて、これにてこまつの杜見学は終了。今回、有料エリアには入りませんでした。



小松駅前
 こまつの杜から小松駅前(西口)にやってきました。駅前広場に曳山華舞台っていうのが展示してあります。花がたくさんの曳山。
 小松駅西口から西側に伸びる道路沿いの建物はちょっとヨーロッパちっく。通称「れんが通り」というそうです。



こまつ曳山交流館みよっさ
 れんが通りを進んでいくと、「こまつ曳山交流館みよっさ」という施設がありました。お祭りに関する資料館みたい。
 10:35、こまつ曳山交流館みよっさに入館。なんと!入館無料でした。

 交流館に入るとガラス張りの展示室の中で曳山が展示してありました。すげーと思ったら、職員のおばさんが中に入っていいですよ!と。マジか!?間近で見学できるの?

 今年は西町と八日市町の曳山が展示されてるそうです。まず西町の曳山をガン見する。作りが立派。
 裏側に回るとタペストリー?が凄い。屋根の下にあるのは鳳凰かな。
 八日市町の曳山も見てみる。こちらも豪華絢爛。小松は曳山子供歌舞伎が有名なんだって。この曳山のステージで子供たちが歌舞伎を行うのが250年前からの伝統だそうです。
 八日市町の曳山の裏側を見る。こちらのタペストリーもすごい。あと、曳山の内部、天井部分を見ると青龍、朱雀、白虎、玄武の四神が描かれています。

 これらすべて、こまつ曳山交流館みよっさのスタッフの女性が懇切丁寧に説明してくれました。なかなか面白かったです。



曳山通り
 こまつ曳山交流館みよっさの横から北に延びる曳山通りをあるく。残念ながらこの商店街もあまり元気が無いね。五月人形や鯉のぼりを販売しているキタセというお店(左)、一応営業しているみたいだけど、大丈夫かな?
 さらに北へ、芦城公園を目指す。この周辺の建物は古いものが多い。小松って古い文化がしっかり残っているんだね。



藤見の会
 11:30、芦城公園に到着。すると、今日はお祭りがあったようです。藤見の会っていうんだって。なぜか働く車が展示されていたのでパチリと撮っておきました。

 左は小松市消防本部の救助工作車。R-UAというタイプかな?救助工作車としては標準タイプ。レスキュー隊が使用する車両です。クレーンや照明、ウィンチなどを装備して緊急時に被災者を助ける専門の装備です。

 右は除雪グレーダですね。雪国のほとんどの建設会社が所有していて、雪が降ると市町村からの要請を受けて出動してきます。
 左はトラックベースにスノープラウを取り付けた除雪車。去年、US出張のときは自家用のピックアップトラックにスノープラウを取り付けた車がたくさん走っていたなぁ。除雪のとき、スノープラウの前に溜まった雪で動けなくなるのを防ぐために、荷台の最後部にカウンターウェイトを載せているんです。

 右は道路維持作業車。路面清掃車っていう車です。大きな回転ブラシで道路脇のゴミや砂を吸い取っていく車です。
 これは昭和の松。昭和34年に公会堂が建てられる前からあったとか。その脇で令和の松が植えられていました。



喫茶フローラ
 11:40、芦城公園近辺のレストランをスマホで探すんだけど、喫茶フローラっていうお店しか見つからない。コーヒーが美味しい喫茶店ってことらしいので、行ってみることにしました。店先には自家焙煎のコーヒー豆が置いてあったのでコーヒーは期待できます。
 入店したら店の奥の方の席に通される。そして、その後しばらく待つ。とても忙しいらしく、こちらまで注文を聞きに来る余裕がないみたい。

 でも、しばらくすると注文を取りに来てくれました。
 それから25分後、ようやくサラダが運ばれてきた。まぁ、普通のサラダですね。
 さらに数分後、注文したクマ兄さんのミートソーススパゲティ(左)とペンギン姉さんの明太子スパゲッティ(右)が運ばれてきました。まぁ、お味は普通ですね。スパゲッティは細いタイプだったので、ゆで時間は結構短かったはず。きっとほかのお客さんでいっぱいいっぱいだったんだろうね。
 食後、コーヒーを頂く。自家焙煎したコーヒー豆を使い、コーヒーサイフォンで淹れてくれたようです。香りが良くて美味しい。

 という感じで、パスタは超家庭の味だったけどまぁまぁ美味しかった。コーヒーはおススメです。



小松市立博物館
 食後、芦城公園内にある小松市立博物館に入ってみます。入館料は300円/人ということですが、今日はお祭りの日なので無料。無料なら入ってみよう。
 この博物館、小松市で採掘される岩石とかいろんなものが展示してありましたが、面白かったのは昭和のアイテム。公衆電話の使い方って知ってる?最近の子はスマホを使っちゃうので、公衆電話の使い方を知らないってテレビで紹介されてたね。ちなみにネコ娘はフツーに仕えます。右はゲームボーイ。うちにもあったけど・・・どこに行ったかな?
 クマ兄さん、さすがにこの電話は使ったことがありません。明治時代くらい?昭和初期?いずれにしても・・・。だって、交換手と話す必要がある電話とか使ったこと無いもん。
 300円を払って入館するには気が引けるけど、無料なら十分楽しめた小松市立博物館。昭和生まれの人にはおススメだね。



藤棚
 公園内には藤棚がありました。藤の花が見ごろなので藤見の会っていうお祭りをやっているんだろうね。先日のGWでは、出雲大社の藤の花が全く咲いてなかったので、ここで見られて満足満足。この時期だけ見られる藤の花、結構好きなんです。

 この芦城公園は加賀藩三代藩主の前田利常が居城として建てた小松城三の丸の跡地なんだそうです。明治初期に小松城が取り壊され、民間に払い下げられていくとき、小松市民が広場を残しておきたいってことで公園にしたそうです。



小松市本陣記念美術館
 芦城公園内には本陣記念美術館もありました。ここも普段は300円/人の入館料がかかるようですが本日は無料。試しに入ってみましたが・・・クマ兄さんとペンギン姉さん、あまり美術のことは分からず、一回りして出てきちゃいました。Artは難しい。
 最後に芦城公園ゆかりの名木、アカマツをチラ見。加賀藩三代藩主の前田利常が隠居して、小松城に居た頃、四国讃岐高松藩から贈られた松と言われているそうです。推定樹齢が400年。なかなか素晴らしい。

 ということで芦城公園を撤収。小松駅に向けて歩きます。国道360号線に出ると、道路脇の川が超人工的。もしかして昔水運で栄えた頃の名残り?



クハ489-501
 小松駅に戻る途中、特急電車が置いてある公園がありました。ヘッドマークは「はと」になってます。Webでは「雷鳥」のときもあるみたい。
 この489系は1972〜1974年頃に作られたもの。クマ兄さんより年上です。そして、クマ兄さん、この489系で運転されていた急行能登に乗ったことがあるんだよね。
 社会人になり、まだ川崎で働いていたころ、高岡の工場に出張に行くときに「とくとく切符」なるものをよく利用していたのです。この切符だと21,400円で東京駅と高岡駅を指定席で往復で来たのです。しかも、上越新幹線&特急はくたかだけでなく、寝台特急北陸や急行能登が使えたんですね。懐かしいですねぇ。この「とくとく切符」は北陸新幹線が開通するまであったと思う。
 



 これにて、小松駅周辺の散策終了。思ったよりも楽しめました。自宅から車で1時間半ほどの小松市にこれだけのものがあったとは・・・。

 さて、次は小松市の定番スポットに行きましょう。



安宅住吉神社
 14:15、小松駅から10分弱で安宅住吉神社にやってきました。ここが小松の定番観光スポット。とっても久しぶりの訪問です。なんと、ここは日本遺産に認定されているそうです。
 参道を進んでいくと手水舎。そして、社殿が見えてきました。まずは手水舎でお清め。そして拝殿で参拝。
 拝殿での参拝を終えると、隣の社務所から声を掛けられる。行ってみると巫女さんが安宅住吉神社の成り立ちを説明してくれました。それによると・・・安宅の関って源義経を捕らえるためだけに作られた関所なんだって。そして、源義経と武蔵坊弁慶達がやってきたときに、関守は気づいていたとか。ところが、武蔵坊弁慶が白紙の勧進帳を読み上げ、さらに義経を打ちすえる。これによって関守は義経一行を通してしまう、という話があったそうです。これが歌舞伎の勧進帳になっているんだって。小松って歌舞伎の里らしいですよ。

 そんなお話を巫女さんから聞き、難関突破の御守りを勧められる。が、今日はネコ娘が居ないので次回ということにしておきました。
 社務所の目の前にあった神亀石。昔々、亀が住吉神社を参拝しようとしていて、八蔵という人が案内したら、ここで石になっちゃった、ということらしいです。亀の背を左右左と三回撫でて、神前にお祈りすると寿命が延びるんだそうです。
 境内にあった武蔵坊弁慶の像。勧進帳を呼んでいるところ。武蔵坊弁慶くらいの人なら強引に関所を突破できそうな気がするけど、さすがにやらなかったんだね。
 安宅住吉神社の裏手にいくと安宅関の跡がありました。ここが勧進帳の震源地。力じゃなく知恵で難関突破したんだね。お守り買っておけばよかったかな。
 では、駐車場へもどろう。途中に松の木があったんだけど(左)、逆植之松っていうらしい。どのあたりが逆なんだろうか。右はさざれ石。岐阜県春日村で発見されたもので、平成14年に奉納されたんだって。

 ということで、小松ドライブはこれにて終了。帰りますか。



道の駅 めぐみ白山
 15:30、国道8号線沿いの道の駅「めぐみ白山」で休憩。トイレに行って、それから今度ペンギン姉さんの実家に里帰りするときのお土産を物色する。
 道の駅に北陸新幹線のPRコーナーがありました。ここ白山市には北陸新幹線の整備を行う白山総合車両所があるんですよね。毎週火曜日と金曜日に見学ツアーをやっているそうで、行きたいですねぇ。

 最後にドーナツとコーヒーを買って帰路につきます。



 17時頃に自宅に到着。今日のドライブは165kmでした。ペンギン姉さんのデイズルークス、馬力はないけど乗りやすい。日帰りドライブだったら十分だな。



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