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立石岬灯台


2020.5.30


 敦賀で暇を持て余す土曜日です。今週末は富山に帰りませんでした。午前中、ランニングし午後から敦賀市の北西にある立石岬灯台を見学しに行ってみました。



立石
 15:30、敦賀半島の先っちょにある立石という漁村に到着。実は先日もここに来たんだけど、雨が降ってて車内待機してたんだよね。そしたら、黒塗りのRV(たしかランクルプラド)がうちのリラックスワゴンの前に停まって、中をガン見されました。乗っていたのはお巡りさん。超ごっついお巡りさん。たぶんね、原発が近いので定期的に警備に来てるんだと思います。
 今日は天気が良くて、釣り人や灯台へ行く人がたくさんいたので、クマ兄さんも怪しくないでしょう。
 では、一人で灯台への遊歩道?を歩いていくよ。海岸にはコンクリートブロックが転がっているんだけど、これってわざと?それとも波浪で崩れた?そんな道も天気が良ければ安心して歩けます。狭いけど。
 途中、敦賀湾に浮いている砂利運搬船?をパチリ。敦賀って陸と海の交通の要なんですな。



灯台へ
 海岸沿いの細い道を歩いていく。ここ、夏になったら雑草で歩けなくなるな。冬は雪が積もったり凍ったりしてやっぱり通れないかも。春と秋しか灯台には行けないと思う。
 と、沖の方にオレンジ色の船が見えてきました。近海郵船という会社の船っぽい。
 海岸沿いの道を5分ほど歩くと、山の上の方へ登っていく道になる。ここは階段が作ってあって道幅も広い。これなら遭難する心配なし。
 10分ほど上り坂を登っていくと、木々がなくなり開けてきました。もうすぐ灯台かな?



近海郵船
 近づいてきたら「とかち」という船であることが分かりました。近海郵船のRO-RO船で、敦賀‐博多航路に就役しているそうです。昨夜、博多を出港し夕方敦賀に到着するスケジュールのようです。RO-RO船ってRoll-On/Roll-Off船っていうもので、トレーラーなどの車両だけ載せて、人は載せないフェリーのこと。でも乗ってみたいね。



立石岬灯台
 15:55、立石岬灯台に到着。1881年7月20日に初めて点灯したこの灯台、すでに140年ほどの年齢となってます。当初は灯油で点灯し、次にガス、そして電気で点灯するようになりました。日本人の技術によって建設されたもので、日本の灯台史に残るものだそうです。コンクリート積みというのが珍しい。
 反対側からパチリ。この灯台、敦賀市における文化発祥の地ということで市章に採用されているんだそうです。敦賀市の市章ってどんなんだっけ?

 なんで敦賀にこんな灯台を作ったかというと・・・明治35年に敦賀とロシアのウラジオストクを結ぶ国際航路が開かれ、シベリア鉄道でヨーロッパに繋がると、敦賀港は西洋への玄関口となって、横浜・神戸・関門と並ぶ日本4台貿易港に発展したからなんだって。今でも北海道へのフェリーや九州へのRO-RO船の港町ですね。
 ILLUMINATED 20th JUlY 1881って書かれてますよ。下の感じっぽい文字の方が読めません。
 灯台カードもゲットしました。これにて立石岬灯台見学終了。この灯台の写真を撮っているとき、地元のおじさん?が草むらに座って缶酎ハイを飲んでたのが印象的。なぜ、ここまで来て缶酎ハイを飲んでたんだろう?

 じゃ、戻ろうか・・・と帰路を歩いていると、会社からTEL。なんと!機械が壊れたとか。しょうがない、会社行くか。ランニングして、灯台散策して、だいぶ疲れてるんだけどな。



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